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山口揚平の書籍一覧

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金銭教育の不必要性

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    金銭教育の必要性が叫ばれている。

    これについて、二つある。
    一つは、なぜここに来て金銭教育が必要なのか?
    そして、必要となる金銭教育の正体とは何なのか?ということである。

    日本人が、お金に正面からとりくんでこなかったのは理由がある。

    戦後の日本では、国民の多くがお金に関心を払う必要はなかった。
    むしろ、国民は、その労働力を社会に供給すべきであり、お金の問題については、お上(郵貯・大蔵省・銀行)に任せておくべきであった。
    なぜなら、経済復興期においては、「卸」としての金融機関が、多額の資本投下によって社会インフラ(ダム・ビル・交通機関)を整えることが不可欠であったからだ。現在の社会においては、経済活動に必要な資本は小口化されている。90年代からの一連の興銀/長銀・大蔵省・郵貯の解体は、偶然ではなく必然である。
    今後、さらに金融の役割は、小口化されることになろう。
    その世界においては、われわれ市民全員が、お金について、知識を有する必要がある。つまり、民主主義的資本主義が達成されなければならない。

    必要となる金銭教育の正体は何なのか?
    という点については、誤解がある。

    金銭教育とは、「いかにお金を儲けるか」ではない。
    「目的」としてのお金を扱うものではない。

    お金とは、あくまでも「道具」であり、価値コミュニケーションの手段であるからである。金儲けの方法はまた別に存在する。

    誤解が多いが、ファイナンスとは、資本主義の「言語」である。
    ラテン語では、“王の蔵”という意味である。

    来るべき資本主義社会の中で、言語としてのファイナスを伝えていくことが必要であろうと私たちは考える。
    その意味で、自分たちの活動は、NOVAの英会話学校に似ている。
    国際コミュニケーションの道具としての英語と、資本主義世界におけるコミュニケーション手段としてのファイナンスは、非常に似ているからだ。

    当然ながら、英語を話せる、という目的の先に、俗的な欲求があり、ファイナンスを学ぶ先に、金儲けという俗的な動機があるのは当然である。それを否定するものではない。

    だからといって、金儲け自身を、当活動の目的としないところに意義がある、と思う。

    私の求めるところは、あくまでも「パブリックファイナンス」の達成である。

    さて、我々が具体的に取り組むべきは、二つである。

    一つは、言語としてのファイナンスを普及させること
    これには投資教育・金銭教育という活動が当てはまる。
    もっとも大事なことは、お金は価値の媒介手段であるということと、お金自身に「色」をつけず、ニュートラルに捉えることであろう。ただし、動機としての錬金術を否定するものではない。柔軟に対応していきたい。

    二つ目は、企業と(個人)投資家をつなぐ情報流通プラットフォームを創生することである。これは、証券売買市場における実売買に影響を与えるものである。そのような情報市場の形成者は、シカゴ商品市場を作ったケネディの父親のごとく、資本主義社会における覇者になるものと思われる。

    シェアーズが出来てすでに半年が過ぎた。

    投資教育については、3つのコンテンツをDVD講座として提供することが出来たが、全体では、最低でも10のコンテンツが必要であろう。
    いずれもそれぞれの関係を明確にし、すべてが体系的であることが求められる。

    私たちは、お金について、人に任せることはできないと考える。
    なぜならお金とは人生においてもっとも大切な要素の一つだからである。
    目をそむけることができない。
    だからといって人生はお金だけではない。
    その他の活動を有意義に行なうためにもお金について、「効率的」に学ぶ機会が必要である。我々が提供できるとすれば、その効率的学習を援助するための体系的カリキュラムであろうと思われる。


    それから、後、二つの書籍を書きたい。
    一つは、「企業分析」について、もう一つは、「お金とは何か?」について。前者については、M&Aにおけるデュー・ディリジェンスの知識が役に立つ。ご協力いただける方は連絡を請う。

    さらに、アルゴリズムを利用した投資家・企業を結ぶプラットフォームを創設したい。
    これには要件がある。
    一つは、利用者そのものに直接的な価値が提供できること。
    たとえば、シェアーズが提供するバリュエーションマトリクスは、企業価値を瞬時にはじき出す。利用者に直接メリットがある。
    二つめは、利用者の行動が、全体として価値を生むことである。
    たとえば、資産管理のASPをウェブで無料提供した場合、各人の利用状況が全体として価値を生み、それがまた個人へフィードバックされるしくみなのである。
    三つ目は、それがビジネスとして成り立たなければならない。
    その価値創出が具体的なキャッシュに結びつくモデルを形成しなければ、継続性を担保することができない。
    四つ目は、それが世界をより良い場所に変えるものでなければならない。
    そうでなければ、活動自体に意味がない。

    これは徐々に達せられつつある。
    今後の活動に期待されたい。








    超長期投資

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      投資に関しては、

      「今後10年間、平均よりも“ちょっと良い”経営効率を、“維持”できる企業の株を、“妥当な価格”で買うのが一番良い」という結論である。

      ちょっと良い経営効率とは、ROIC(投下資本税引後営業利益率)で言えば、10〜15%ぐらいであろうか?

      維持できる、というのは、ずっと必要とされるもの、できれば生活必需品や食品が良いと思う。

      妥当な価格とは、PERなどで言えば、15倍〜20倍程度であろうか、そんな企業の株に投資するのが一番良いのである。


      利殖と運用は、違う

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        株式市場は、基本的に“ババ抜き”ゲームである。

        市場は、買った株の価値がどうかということよりも、その株を早く誰かに押し付けて売り抜ける人たちでなりたっている。

        企業の本当の未来でなく、他人の予想する未来を、予測してお金を賭ける。(なんのこっちゃ)

        かくして、株価は、短期的には、不特定多数の“思惑”の交点となる。

        不特定多数の思惑の交点 を洞察することで、短期的に株価を読むことはできる。

        ニュースやメディアは、これに拍車をかける。

        メディアにとっても最も重要な要素は、普遍性ではない、新鮮さ(フレッシュネス)である。

        株式市場は、9割がた、メディアや相場に触発された投資家の「感情」で動いている。

        なぜか?

        その理由は、株の「流動性」にある。

        要は、いつでも売ったり買ったりできる、ということだ。

        投資家は、嫌になれば、すぐに株を売ることができる。

        そんなしくみが、感情的な行動をより促し、冷静で合理的な判断を狂わせる。

        ネット取引の発展した現代では、少し冷静になって考える余裕は与えられないのだ。

        だがそれで利益をあげるのは、株の“自動販売機”たる証券会社(ブローカー)だけである。

        トレーダー社会の真の勝者は、ブローカーとメディアである。



        さて、そんな感情渦巻く株式市場も次第に落ち着きをとりもどす。

        株価はどこに向かうのか?

        それはこの世でもっともリアルな現実、つまり、お金である。

        結局、株価は、会社のお金の量に行き着く。

        会社のお金には、二つある。

        「これまでに会社が溜め込んだお金」と、「将来稼ぐであろうお金」である。

        このお金から、会社の借金を引けば、すなわち株の価値となる。

        こうやって中長期では、株価は、もっともリアルな現実、株の価値に収斂してゆくのである。


        だが私たちが、価値に着目した投資を薦めるのは、単にそれが儲かるからだけではない。

        それが、社会の資本生産性を高めることにつながるからだ。

        田舎の農家が、今年は不作だからといって先祖から受け継いだ田畑をさっさと売ることがあろうか?

        人は積み重ねの中から、経験を重ね、大きな価値を生み出すのである。企業もしかりである。

        投資家が感情から短絡的に行動するなかでどうやって価値を創造することができよう。

        投資家たる私たち個々人は、単なる“利殖”を超えた、本当の“運用”について考え始める必要がある。


        全自動資本主義

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          週末に「スーパーサイズミー」を見た。
          3食をマクドナルドだけ食べて過ごすと健康にどのような悪影響が出るのかを描いたドキュメンタリーである。

          私が感じたのは、加工食品がいかに不健康か、ではない。
          資本主義についてである。

          マクドナルドやペプシは、莫大な広告費を投入して、TV広告で“洗脳”する。子供たちは、ジョージ=ワシントンの顔写真を見せられても答えられないが、ドナルドの写真は、瞬時にわかる。

          マックの戦略は、実に単純で、「7歳までにハンバーガーを口に突っ込んでおけ。さすれば一生涯マクドナルドの顧客となる」というものだ。
          実際、マクドナルドの中毒性はすさまじい。その自信の表れが、赤字覚悟の子供囲いこみ戦略であろう。

          これらの現実を可能にしているのは、マックのTV広告への莫大な資本投下であるが、その金額は、健康志向を訴えるCM金額の数万倍に上る。これでは、学校でどのような教育を施しても、健康志向側に勝ち目はない。
          (ちなみにアメリカの一部の小学校には、マックが入っている)

          恐ろしいのは、マック食品の健康害悪ではなく、お金さえだせば、いくらでも広告を出せ、出店もできる資本主義社会の構造にある。

          良いものを良い、悪いものを悪いというモラルでなく、「金銭」というシンプルな指標でものごとの評価を決めることによる弊害である。

          お金は、価値の交換媒体である。
          ただし、お金=価値とならないこともある。

          株式市場もしかりである。
          常に、株価=株の価値とはいかない。
          市場には常に、“ゆがみ”が存在する。

          だから、私たちは、株価(やお金)だけを頼りに生きてはならない。
          目には見えにくい“価値”に目を向ける必要があろう、と思う。

          お金とは何か?

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            お金とは何だろうか?
            ある友人は、お金とは資本主義社会の偏差値であると言った。
            彼はビジネスの天才かもしれない。


            昔の私にとって、お金とは、
            「怠惰の原因であり、搾取の結果」であった。

            少しは甲斐性のついた今の私にとっては、お金とは、
            可能性の原因であり、貢献の結果」である。

            「お金とは考え方にすぎない」

            結局のところ、お金は、無色透明だと思う。そこに“色”をつけるのはただわれわれ個々人なわけである。

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