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ウォールストリートジャーナルの購読を辞めました

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    先ほど、ウォールストリートジャーナルの購読を止めた。月額3000円は質の高い経済情報の対価として妥当だった。だけど僕には世界を動かしているパラダイムが変わったように思えるし、そうなると記事のテーマにも違和感を感じるようになった。

    今、お金がいったん本来の姿に戻ろうとしている。お金の起源は「記帳」にある。人々は昔、それぞれの持っているものを提供しあっていた。ちまたで言われているようなリアルタイムの物々交換は実は存在しなかった。それは不便すぎたからだ。そうではなく、あげたもの、もらったものを互いに記帳していったのだ。記帳からくさび形の文字が生まれた。お金が先で文字があとで発明された。中世ヨーロッパでは年に一度、リヨンの大市で取引の精算が行われた。複式簿記が生まれた。会計に優れた商人が権力を持つようになった。

    やがて王の持つ権威と、商人の権力が協力する形で中央銀行ができた。最初の中央銀行はイングランド銀行だった。英国王は戦争で国庫が窮乏していたし、国際商人達は自分達の私的取引による商規模拡大に限界を感じていた。両者の思惑が合って、国家がお金を作って市中に流すようになった。いまでもその中央銀行がお金を作り、コントロールしている。もちろん裏でコントロールしているのは商人である。これは400年間変わっていない。陰謀論に興味は僕はない。ただたいていの中央銀行の株主は民間(商人)と国家が半分ずつというのは事実である。

    さて、今起こっているのは中央銀行が終わろうとしていることだ。この国でももう日銀は円を刷りすぎたし、米国でも中国でもそうだ。何かを創り出すよりもお金を刷ることで為政者が机上で経済をまわすのは無理だ。やがて中央銀行通貨の価値はなくなる。新しいビットコインの本質は通貨でなく、記帳の履歴を完璧に暗号化することだ。本質的意義はよくいわれるような仮想通貨(Bitcoin)ではなく新しい記録装置(bitcoin)である。

    さて、ウォールストリートジャーナルはFRBを中心に中央銀行の金融政策の情報の質と量が圧倒的なメディアである。だが経済は今は別のところで回りつつあると僕は感じる。それは個人の信用と互いの取引である。僕はこのメディアの前提となる中央集権的な経済システムの考え方に違和感を感じている

    お金は大事だ。しかしそのお金の本質を知り、お金の源泉を得ることの方が大事だ。

    お金は持ち寄りとその与え合いの記帳からはじまった。それぞれが産み出した価値を提供し、記録することがその源泉である。やがてその価値創造と貢献の記録は貯まって信用となる。その信用が貨幣という形で世の中に出回る。それがお金のしくみだ。貨幣自身には価値はない。その元にある信用が貨幣というメディアの価値を担保する。「譲渡可能な信用」それこそがお金の定義である。信用なき貨幣に価値はない。国家はもはや凋落している。残るのは徴税権と交戦権だけだ。それを行使することを匂わせるしかない。昨今の右傾化も増税も背景は単純だ。

    ひるがえって個人は各々の信用を世界に創り出すことができる時代となった。かつては1つの村や島でしか信用は流通できなかった。今は違う。世界のどこでもその信用は流通しうる。
    個人に必要なのはお金(中央銀行通貨)を得る力でなく、価値と信用の創造力だ。

    お金とはまず価値を作り、マーケットに行ってそれを換金することで得るものだ。だが今はマーケットに行かない。むしろ個人間の信用取引で価値を流通できる。家を借りるために不動産屋に行き、車を手に入れるためにカーディーラーに行き、家具を買うために大塚家具に行くのは今世紀の生き方ではない。家も車も家具も近くの私的ネットワークで手に入れることができる。空室率は25パーセント、車は5700万台ありこの数字は10年前と変わっていない。つまりモノは世にありあまっている。わざわざマーケットまで行き、お金を作って手に入れる必要がなくなっている。個人間取引のメルカリアプリで80万のベッドも100万の新古車も、知識を持ち丁寧で誠実であれば10万円で手に入る。大切なのは個人間の信用である。マーケットであえて買う必要があるのはAmazonの生活必需品と交通機関だろう。今や個人はその知識と信用を駆使して、中央銀行通貨を介さずに互いに安価に価値を交換する度合いが急激に増えているのだ。それを知らない人ほどお金を求めるがそれは旧時代のパラダイムだ。縁は円より強し。これは標語ではない。事実だ。

    今世紀の生き方の指針として、マーケット(金)で解決しないこと、価値と信用の創造力を身につけることの2点が挙げられる。マーケットで解決しないとは私的ネットワークとその信用残高で価値交換する姿勢、創造力とは既存の物事の新しい組み合わせのことだ。その知識と実践こそが今世紀のすべての人に求められているのだ。


    睡眠時無呼吸症候群と僕の憂鬱な5年間のてんまつ

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      (同じ症状で困っている人にはシェアしてね)
      『憂鬱な睡眠時無呼吸症候群(SAS)と僕との5年間のお付き合いのてんまつ』

      人生でもっとも大事なエネルギーは、健康とお金だろうし、その健康の3大要素が「睡眠」「栄養」「運動」だとするのなら、やはり睡眠について一度は考えてみる必要がある。

      「人間の武器は、信頼と習慣だ。」と伊坂幸太郎のゴールデンスランバーで描かれているけど、そのどっちも難しいし僕はあてにしない。人間(僕)は怠惰な生き物だ。

      風呂はもっぱらカラスの行水で、寝る30分前までポテチを食べ、「bokete(ボケて)」のアプリで薄ら笑いを浮かべながら寝落ちする習慣は僕の場合どうやら治りそうにない。だから人生で大事なことは1回でケリをつけるようにしている。例えば今回の手術がそうだ。

      さて、僕が睡眠時無呼吸症候群(SAS)だと診断されたのは2011年の秋で、順天堂大学病院の呼吸器内科で入院検査を受けた結果だった(とてもいい病院だ)。無呼吸は自分では気づかない。チャック全開で歩いている時に、「ねえ、相手のズボンのチャックが 開いてるときってどんな風に伝える?」 と質問して気づかせてくれるような賢明パートナーが指摘しない限りは病院で検査することもないのだ。ちなみに僕の場合、隣に寝ていた後輩が「息止まって死んでるかと思った」という身も蓋もない一言を発したことから検査することになった。

      処方されたのはもっとも一般的な方法、つまり呼吸器(CPAP)をつけることだ。これはレンタルで月に5000円、加えて毎月通院しなければならない(こちらの時間のほうがコストだ)。

      さっそく、処方箋を主治医に言って英語で書いてもらい(書いてくれた)、海外からcpap.comを通じて取り寄せた。おすすめはphilips社のもの(http://www.cpap.com/productpage/pr-system-one-60-series-auto-machine-bluetooth.html)だが関税でひっかかる。関税の手続きが嫌ならこっちのトラベル用がいい(http://www.cpap.com/productpage/transcend-auto-cpap-machine-somnetics.html)かもしれない。

      CPAPを使うと症状は収まるが、いかんせん手間がかかる。全快することもまずない。旅行や海外出張の荷物も大変かさばる。エコノミークラスでは電源がないから使えない。主治医の綺麗な女医に聞いたら「あら、ビジネスクラスなら使えるわよ」と笑顔で返された。なるほど、しかし、ビジネスクラスの隣の客がダースベーダーのようなマスクしてゴーゴー音立てて寝ていたら、「おいおい、仕事してる場合じゃないから、帰ってゆっくりしろよ」とツッコミの一つでも入れたくなるのではないか、と心のなかで僕は彼女につっこみをいれた。

      CPAPが持ち運びに不便ということで、次につかったのは、ベンチャー企業が開発したナステント(https://nastent.sevendreamers.com/)だ。これは鼻からチューブを入れて軌道を確保するもの。一本700円と安くないが移動用と割り切るしかない。いわば鼻のコンタクトレンズみたいなものだ。
      ナステントの違和感に慣れず、世界を旅する探検家・宇宙飛行士になるのが夢である僕にはどうしてもこういった機器を克服する必要がある。ここではじめて自分はなぜ睡眠時無呼吸(SAS)になったのか、考えてみた。

      原因として考えられるのは「肥満」「鼻」「喉」「その他」なわけだが、ほとんどの人は「肥満」が原因だ。しかし僕は一時期を除けば肥満の水準にない。舌根沈下(あごが小さく、舌がのどの奥に入ってしまう)という仮説をもとに「あいうべ体操(http://mirai-iryou.com/mc_aiube.html)」を3日ほどやってみたこともあるがそれも挫折した。第一、人にみせられたものじゃないし、こういう運動の「習慣」というものを僕はあてにしない。どうせ続かないからだ。美容には良いらしいので根性のある女子はぜひ。鼻呼吸にするためのテープ「ねるねる」もおすすめ。アゴがすっきりする。

      そうこうしているうちに出会ったのが、今回の東京ロンフェルメ耳鼻咽喉科(http://ibiki-clinic.com/)である。病院名もさることながら先生もとても変わってて、なんというか、新垣結衣が出ていたドラマ「リーガル・ハイ」に出てくる堺雅人演じる小御門弁護士(http://matome.naver.jp/odai/2137527134577227201)そっくりのマシンガントークで症状と処方を説明してくださった。診察が終わって、隣の部屋でナースに「先生だいぶ変わってますね」と言ったら、「初めて会うタイプの先生だとは、みなさんおっしゃいます」と答えられた。物は言いようだ。

      というわけで今回の手術になったわけだが、手術後3日間の痛みに耐えればあとは症状が回復してくるかもしれない。(なんとも言えない)

      僕はここまでに5年と50万円ほどがかかったわけだが(その他、マウスピースやらダイエットやら)、潜在患者数300万人とも言われる睡眠時無呼吸をどうか皆さんが効率的に治してくださることを祈っています。

      *あくまで一患者の体験です。真に受けないようにお願いしますー


      人生のレールは一つじゃない。8つのロールモデルから選択せよ 〜小泉進次郎議員と若手議員へのプレゼン〜

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        小泉進次郎さんと若手議員の「財政再建に関する特命委員会」でプレゼンをしてきました。本当はこういうことはあまりオープンにすべきでないと思うのですが、紹介者の許可のもとに少しだけ思うところを書きます。

        さて、国家の政策提言についてはここ2年くらい自分なりに考えてまとめてきました。すでに21世紀は20世紀とまったく異なるパラダイムで動いているし、それに対し現在の国家政策は、財政戦略的・国民幸福的な観点から大きく誤っており、また俯瞰的にみて体系的で統合的な視点からの施策に欠けていると思うからです。
         統合的でないとはどういうことかといえば、財政・教育・法律・外交・内政・税・社会保障・産業・地方創生などがそれぞれの論客で個別に語られているということです。当然ながら個別の論点は全体に相互に影響を与えるわけであって、そのような全体を俯瞰するフレームワークがまず必要だと思うのです。(今度、提示します)

        さて内容ですが、もし仮に国民の幸福を第一の論点として考えるならば、それは経済と社会的関係資本(ソーシャル・キャピタル)に分解されます。経済についてはGDPの額でなく、率、すなわち一人あたりGDPがもっとも重視されるはずです。これをさらに分解すると労働生産性と資本生産性にわかれるわけですが、どちらも先進国の中で日本はワーストクラスです。
         とくに大企業の生産性は、ベンチマークとなる他国企業と比べて1.5〜3倍以上低いし、資本生産性も最低クラスです。



        今の日本では、女性・シニア活用、少子化対策などと言っていますが、課題の本質はそのような労働量の拡充ではなく生産性にあります。資本も同様です。リスクマネーがまったく供給されていません。

        このような中で、人々は、大学→大企業→一軒家・家族といったこれまであったたった一つのレールがすでに壊れた現在、自由に生きろ、と言われつつ新しいロールモデルがない。だから露頭に迷うのも当然です。



        そこで、一つの人生レールでなく、8つのロールモデルを提示し、それを早い段階から自主的に選択する生涯教育システムを提案しました。

        例えば、ドイツからマイスター(職人)制度、フランスのグランゼコールや寄宿舎学校などのエリートシステム、人の気持ちに寄り添うプロフェショナルである感情労働(エモーション・ワーカー)、アメリカのコミュニティ・オプティマイザー(地域リーダー制度)、クリエイティブクラス、それにオペレーションクラスなど8つのモデルです(これらはあくまで仮説です)。今必要なのは、このような具体的で違いの明確なキャリアプランを提示することです。抽象論だけで前に進まないと思うからです。もちろんこの8つはどれが偉い、位が高いなどの差がなく、個人の資質に合わせて選ばれるものです(ドイツのマイスターは社会的尊敬も大きい)



         またすでに余っている高校や大学などの高校・大学などの市民開放によるコミュニティ・カレッジを制度化し、国家統一で単位認定し学歴や会社に囚われれずにキャリア形成ができるようにすることも併せて提案しました。


        もちろん、しくみだけでなく、産業の中身も必要です。そこで新産業創造への政府のコミットとして10兆レベルの出資を行うこと。そのスキームについては、独立した株式会社組織とし、政治・官僚の影響を廃し、市場原理に従うこと、民間のプロフェッショナル人材を登用することを提案しました。残念ながら歴史的にも現状でも官庁や政治家紐付のお金は結局バラマキに終わります。大事なのはカネでも事業のシーズ(研究)でもなく、事業を育てるビジネスプロフェッショナルの存在と市場原理から目をそむけないことなのだから。このような10兆の生き金は2040年までに100兆レベル(時価総額の1/5)の産業をつくるに資するでしょう。


         最後に、20世紀の人権が、“生存”の保障だったのに対し、21世紀の人権は、“承認”の保障まで拡大すべきだといいました。日本の孤独や自殺は異常だし、人はもう飢えて死ぬ時代ではないのです。人とのつながりを喪失することで精神的・社会的に死んでいるのです。実際、20代の死因の1位は自殺で、これは日本だけの現象です。そう考えると、21世紀の社会保障は、本当は「社会“関係”保障」なのだということです。


        ニート風情が偉そうなことを言って恐縮ですが、全部、事実に基づいた現実です。少しでも日本の政策が本質的な問題解決につながり、国民の幸せとその新しい日本の価値観とシステムが世界へのインスピレーションになればいいな、と思いました。

        ちなみに、当日、プレゼンの時間だけは厳守しろ、と口をすっぱくして周囲に言われたので、ランチでボロネーゼパスタを作った時につかったタニタのキッチンタイマーを持参して、「今日はアルデンテでやらせて頂きます!」と最初に話して議員たちの失笑を買いました。結局、プレゼンは、時間も内容も「モルビド(茹で過ぎ)」でしたけど。。(^_^;)

        プレゼン資料はこちらです
        http://www.slideshare.net/agewall/20160518-62126992

        最後に、非常に忙しい中、アドバイスと各国の論文にあたったり資料作成を手伝ってくれた 松田 宇弘 名川 航太郎 内藤 勇耶 藤沢 烈に感謝します。

        日本の人口減は別に問題じゃないよ、という話

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          今の日本の閉塞感の議論は、一言でいうと、「生産人口が減っているからまずいよ!」ということに尽きるわけで、そこから年金問題や社会保障(老人を支えられない!)、少子化問題、移民問題とつながっていくわけだが、これはまったくの誤解であり前提が間違っている。なぜならいまの生産人口算出の”定義”は「15才〜65才」となっているからだ。しかしよく考えてみよ。今の時代に15才から働き始める人がどのくらいいるのか?あるいは、65才でリタイアしなきゃいけない年配がいるのか?という話である。むしろ65才といえば成熟し、壮健な人ばかりである(考え方は刷新されていないかもしれないが。。)しかも、このような若い60代が出てきたのもわずかこの20年の変化である(人類の歴史を見れば、平均寿命は近年100年で約30才から70才へと急激に伸びている)。つまり近い未来、70才は「中年」、40才が「青年」と呼ばれる時代に入るのである。この状況を鑑みれば、今の時代でさえ、”本当”の生産人口は、「18才〜74才」で算出すべきである。もしこの定義に生産年齢を整えるならば、我が国の生産人口は2045年の未来でも現状と変わらない水準であり、つまり十分にまかなえる。

          したがって、我が国がやるべきことは単純であり、まずは国民の健康と心身のメンテナンスに対する徹底的な集中および投資である。具体的にはロボティクス(特に歩き続けることができる支援ロボット)・統計的な医療・未病支援・健康保険組合制度の改革・教育・医療機関(病院)のインフラ刷新である。これら医療については制度面・テクノロジー面・分子生物学の面・あるいはネットを使った知識の共有(コネクト)の面で、破壊的なイノヴェーションが控えている。
          第二に、生涯教育の義務化である。産業の新陳代謝に合わせて仕事人の知識・スキルセットをアップデートさせるための全国民的なしくみである。
          第三に、企業を巻き込んだ働き方に関する様々なオプション(労働時間・労働条件の自由化)の提示である。

          まとめると、あらゆる国民の健康に最先端の意識が払われ、価値のある貢献(仕事)ができ、そして就労環境が整えるられていること、あたりまえだがそのようなシステムの再構築によって、現在問題だと言われている人口問題は問題でなく、解決可能な課題となるのである。

          乙武さんの話 不倫より大きな悩み

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            そもそも乙武氏のキャリアは、そのギャップから始まっていた。
            五体は不満足でも精神は健全でポジティブというギャップがウケた。
             そのポジティブさを伸ばしてスポーツライター、教師、教育委員へとキャリアを作った。社会は乙武氏に、マイナスの身体と、ポジティブな精神というラベルを与え、その乙武“クン”は、印税報酬と社会進出の機会を得た。その強固なラベルの払拭は難しい。氏はアラフォーでも“クン”付けだ。
             そして今度は、爽やかで健全だが、不倫という不健全という新たなギャップが報道価値となった。もともとダークなイメージがあるタレントは不倫していたとしても(報道)価値がない。ベッキーや国会議員も健全なイメージやそうあるべき人の不倫だから意味がある。

             きっと乙武氏は昔から何も変わってない。氏の周りの人ならその人となりを理解しているから、さもありなんということだろう。蛇足だが当時、氏の早稲田の同級生にあたるわが妹は、ダブルデートのあと、彼は手がないのに手が早い、というブラックジョークを飛ばして家族に苦笑いを提供していた記憶がある。本当かどうかは定かではない。どうでもいい私自分の告白すると、大学時代の黒歴史に、合コンに行ったら実の妹がいた、という気まずい想い出がある。
             さて、人はみな人生の大きな矛盾を抱えているものだ。乙武氏の場合は、本当の自分に対する明確な自信や自己肯定感をもちながら、社会からは、本当の自分とそうでない自分のギャップこそが求められているという矛盾構造にある。それは不倫よりきっと重いテーマだ。

             氏のオープンな性格や精神性、明晰さ、伝える才能など氏の本体に近い部分を直接の価値として訴求することはいまのままでは難しいがこのパラダイムを抜け出す方法はないわけではない。たとえば最新医療技術とロボティクスによって、五体不満足を克服した上で、あらためて全くの健常者の活動家としてデビューする道である。名実共に五体満足になり、そこからイメージでなく、本質価値を訴求する。それは先端医療技術のブランディングにもつながり、彼が言うオリンピックとパラリンピックの統合にもつながるかもしれない。

             人は皆、なにかしらの本質的な矛盾構造を抱えて生きている。そしてそれが解くべき人生のテーマとなっている。人一倍さみしがりやなのに1人でいたい、本当は愛されたいのにお金をもとめてしまうといったように。
             乙武氏が、彼がいう障碍者という“おいしい”ラベルをうちすてて素で活躍できる日を祈っています。余計なお世話かな(^_^;)


            東大院を修了しました。人はなぜ勉強すべきなのか?

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              東大院を修了しました。人はなぜ勉強すべきなのか?それは簡単です。知識は選択肢を増やします。選択肢は自由を増やします。自由は豊かさを増やします。
               人とはつまるところ「意識の焦点(知識・記憶・肉体)の集合体」です。そして意識の向かう選択肢が知識です。だからこそ知識を得なければならない。そして、普通、わからないことをわかるようにすることは苦痛であり、そこに強制的な教育機関の存在する意味があります。
               我々はしばしば現状や過去に執着します。我々の悩みの本質は執着にあります。執着は意識の焦点が固定されること、すなわち選択肢の欠如にあります。知識は我々に新たな選択肢を与え、執着を、悩みをときほぐす力になります。「悩みを課題に変える力」それこそが知識です。課題とは解決可能な問いのことです。
               もちろん知識の99パーセントは使われることがありません(線形微分方程式など)。一方、毎日使う知識もあります。何の知識がいつ役に立つのか、それはわかりません。でもだからこそ、知識は選択的に得るものではなく、あらゆる知識そのものを愛するべきです。
               そして、この知識を使うのは思考の役割です。思考とは意識を振り向ける動作であり、知識を選択し、またそれらを結びつけたり切り離してあらたな選択肢をつくることです。この「知識と意識(をコントロールする思考)」が組み合わさることで人生の自由度は大きく変わってきます。

              私は何よりも考えることが大好きです。

               毎日、ずっとずっと考え事をして暮らしています。だから思考のレシピがいっぱいあります。ですが、ある日、考えるための材料が足りないと思いました。そこでマーケット(市場)に行くことにしました。それが東大院でした。正直、満足いきませんでした。でもそこでは食材以外にも、どこにもっと食材があるのかを知ることができました。論文データベースの世界、ヨーロッパの名門大学、アートの世界、最新のテクノロジー、医療技術、いっぱいいっぱい調理すべき食材が見つかりました。これからはその1つ1つを丁寧に料理して、できるだけ無償でみんなにふるまっていきたいと思います。どうぞ楽しみにお待ちくださいませ。

              山口拝

              過去の書籍はこちら→http://goo.gl/NYAL3I
              スライドはこちら→http://www.slideshare.net/agewall/edit_my_uploads


              資本主義を否定する愚かな人達へ告ぐ

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                私が経済学の歴史を学んでわかったことは「資本や貨幣に逆らうのはやめた方がいい」ということです。かのマルクスは大英図書館に30年以上ひきこもってあらゆる書物を読み込んだ上で、資本論を書きました。いわく「あぁ資本がすべてのみこんでゆく、人々の労働さえも『商品』になってしまう。人は機械化され搾取され匿名のものになってしまう…」そして人道的・倫理的な観点からその世界を否定した(マルクスの主張の本質はもちろんそれではないけれど、当時の人々はこのように読み取った)。古今東西のあらゆる経済学者は、あらゆる書物を読み、学び、思考した上で最後に必ず“日和る”ように思えます。アダムスミスしかり、ミル、ハイエクしかり、そしてあのケインズでさえも「資本にあらがう」ことを考えるのです。最近ではジャックアタリやピケッティもそう。メディアも含め倫理的・人道的主張へと論を落ち着かせようとするように私には思えます。なぜならそれこそが彼らが経済学者になる理由だからです(私もそうです)。しかし残念ながら資本を否定したまさにそのタイミングに彼らの学問は死ぬのです。それまでのどんなに精緻な分析も定量的解析も深遠な洞察も無に帰するのです。


                経済の論点は、いつも同じです。すなわち格差の問題、そしてこの資本がすべてを飲み込んで画一化して無機化してゆくという点です。このどちらも本質的には同じ問題です。それは、我々が有機的だと思っているものが無機化することの問題です。格差は、全体論として人間関係の断絶によって社会の危機となり、個別論として人の生命の危機になり、ということです。今の話題は、AIによって人々がまた仕事が奪われるんではないか、という不安でしょうか。これも産業革命から同じです。あるいはずっと繰り返している金融資本主義によってお金が暴力的に実態経済、生活経済を脅かすということかもしれません。それも中国では管氏の時代から、イタリアでも13世紀の商業金融から変わってない。その破綻の周期も年々短くなっており、リーマンショックから7年経った今、不安が募ります。

                いずれにせよ、この世界は未来永劫に資本の波から逃れることはできません。繰り返しになりますが私が経済学を学んで悟ったことは、資本を否定することの愚かさでした。貨幣とその蓄積である資本は、数字というもっとも汎用的、逆に言えば抽象的・匿名的な財の形をとった完全言語です。その汎用性ゆえに、人々の最終的な欲求はこの究極の財である貨幣の獲得に向かわざるを得ません。

                その上で人はどうあるべきか、なにをやるべきか?それは3つだと私は思います。

                1、資本の波を食い止める(規制)
                2、飲み込まれた人を助ける(福祉)
                3、新たな有機的を発見する、創り出す

                です。
                1と2は、政府や行政、NGO,NPOが地球規模でやっていることです。この資本を食い止める行為は中世で言えば城を作り国民を護る行為です。

                しかしそれ以上に資本を使ったビジネスが世界を無機化してゆくスピードの方が早いのが現在です。ですから、現代を資本主義だとか社会主義がよいとかいうのは馬鹿げていて、資本優位性社会主義時代と言うべきです。資本 〉社会、ということです。

                ビジネスとは本質的に、無機化する行為です。すなわち、標準化によってプロセスを単純化し、画一化によって商品を匿名化し、中毒化によって顧客の生命を無機化することです。ビジネスとは端的に言えば、「標準化・画一化・中毒化」することなのです。貨幣と資本という切断機によって、有機物を無機物に変える行為です。これを冷静に見据えた上で、人は、3つ目の、あらたな有機的を発見する、創造する行為に向かうのです。

                それには、4つの方向があります。

                愛(関係)・国語
                悟(霊性)・社会(倫理、道徳)
                土(自然)・理科
                天(知識)・算数

                それぞれの方向に有機物のフロンティアがあります。だから基礎4教科が大事です。(これは前のエントリで書きました)
                ビジネスとはそれらをみつけ無機化してゆきます。

                たとえば、
                愛では、SNSは関係性を細切れにして可視化することで無機化し利益を得ます。婚活・恋活の関係性獲得支援ビジネス、ライザップ、ざわちん、Instagramの承認獲得支援ビジネスも同様です。

                悟は、宗教組織化、ヨガやマインドフルネスなどのラベル化によって無機化され商業化されています。(ちなみに今年は商業化しすぎた宗教の不祥事が相次ぐと私は予測します)

                土は、自然が産みだす有機物、すなわち食べ物やエネルギーをもたらしますが、食品ビジネスはそれを無機化することです。これもオーガニック農業やバイオ栽培の形でさらに進展するでしょう。昔は新大陸の発見と植民地化でした。

                天(知識)は、教養・知識・情報の加工、流通です。メディアや学校がこれにあたります。膨大な時間の消費を伴います。キュレーション、ゲーミフィケーション、習い事、情報中毒の時代です。

                さて、なんども私が言いたいのはこれらの無機化することがよくないとか、そういうことではないです。

                そうではなくて、圧倒的なスピードとパワーで無機化する時代に、有機化創造に焦点を当てて生きることです。

                大切なのは、以下の公式です。

                豊かさ = 有機物 − 無機化

                つまり、無機・有機の「差」が余裕であり、うるおいとなるわけです。
                都会で稼いでいても(無機化力が強くても)、有機性、たとえば関係が薄かったり、自然や食、マインドの安定がなければ豊かでないし、逆に、無機化するパワーが弱くても有機性の弱い土地はやはり豊かではない。

                稼げばいい、穏やかであればいい、という一元的な考えでなく、有機物、無機化のバランスの中に、動的な生命としての豊かさがあるということです。

                まとめます。

                1つ。資本や貨幣を否定することは無価値であること。
                2つ。有機物の発見と創造に尽くすこと
                3つ。生活経済において有機・無機の調和を心がけること

                これから詳しくこのことについて書いて行きます。


                東京大学およびアカデミズムの希望と憂鬱

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                  東京大学およびアカデミズムについて
                  さきほど東大に修士論文を出してきました。ここ2ヶ月くらいは、外出せず、家に缶詰で、寝るか、起きている時は文献を読むか論文を書くという孤独な生活でした(といっても、基本、僕はいつも寝ているのだけど。。)

                  そもそも大学院にあらためて行くことになったきっかけは当時付き合ってた子が、「私、博士課程に行く!」というので、「ずるい、それじゃ僕も行く」という軽いのりでした。当時、僕は社会ですでにたくさん仕事も事業もやってきていたし、本も書いていたから、いまさら東大を受験し、大学院に初学者として行くのはすごく恥ずかしかったし、人にも言いにくかったけど実際にやってみて本当に良かったと思います(もちろん、事業もあり真面目には通っていなかったけど)

                  第一に、古典と格闘することのマゾ的快楽。普段、140文字のつぶやきとfacebookでシェアされる「まとめ情報」で生きている自分のような人間にとって、カビの生えた図書館で古典に10時間向き合うの日々は最初は苦痛この上ない。1日目は3ページしか進まない。でも7日目には50ページ読めるようになる。1ヶ月経つと100ページ読める。でも一回読み終えてもやっぱりわからない(^_^;)。しかし3回読むとじんわりと輪郭が見えてくる。そして、熟成の期間を3ヶ月経て、ようやく本質がみえてくる。もちろんネットが世界に張り巡らされ、ドローンが飛び交い、3Dプリンタで物質の転送ができるこの時代、いまさらマルクスやメンガーの経済学なんて「(まとめ的な)結論」から言えば現代に合わないしそんなことは言うまでもない。しかし、時代背景を含めた彼らの思考の深み、思考過程、背景にある信念、過去の歴史と人間の思想の変遷に対する深い理解を知るほど自分自身も安易に言葉を紡ぐことが憚れるようになる。読めば読むほど、学ぶほどに、自分は何も本質がわかっていないということを嫌というほど思い知らされる。なぜ、自分にはこの書いてあることがわからないのか?(笑)と無知と無能を思い知らされ、そして今までの自分の考え、著してきたことの浅はかさを恥じることになる。研究者は緻密な言葉を丁寧に使い、豊富な語彙をもちいて正確な表現をする。論理と数学を駆使して再現性のある事実を語る。独善的なビジネス書が膨大に出版される今だからこそ、古今東西の古典、文献と論文を読まなければならないと思い知らされるのだ。

                  第二に、アカデミズムという一つの生態系に属するという心地よさを味わうこと。これはガウディのサグラダ・ファミリアの建築に従事している職人のような一体感覚に近いかもしれない。いつ終わるかわからない壮大な一つのものを皆で作り上げてゆくことのなんとも形容しがたい幸せな感覚を味わうことができるのがアカデミズムの妙味だ。たとえば東京大学の倫理規定はこちら(http://www.u-tokyo.ac.jp/content/400006403.pdf)。ここからわかるように人類全体で一つの知の体系を作り上げてゆこうという公共精神が伺える。その目的の中では自分という個人の存在なんて本当にちっぽけだ。その意味では、修士論文などエチュード(練習)にすぎない。教授に言われてなるほどと思ったのは「この論文に君の独創性など求めていない。アカデミズムの住民としての素養と精神を問われているだけだ」という言葉。本当にそのとおりだよな。その意味では最後まで僕は在野の事業家でアカデミズムの学徒になりきれなかったけど。

                  第三に、本当に素晴らしい教授たちに出会えた(知り得た)こと。東大は素晴らしい天才と秀才がいる世界でもある。見田宗介先生がわずか修士論文!の時に書いて出版された『価値意識の理論―欲望と道徳の社会学』(1966年)(http://goo.gl/rj7EXv)を読んだ時には、天才でありながら秀才がいるものだと感動した。「現代思想」の 2016年1月臨時増刊号の◎総特集が『 見田宗介=真木悠介- 未来の社会学のために』(http://goo.gl/14ATwA)なので興味がある人はぜひ。理系では暦本純一先生(http://lab.rekimoto.org/members-2/rekimoto/)はどうだろう。20年前にすでにiPhoneで使われているタッチパネルを発明していた歴本先生は発想の前提からして他の科学者と違う。人間の機能を拡張・強化するコンピュータでなく、コンピュータが”人間自体を拡張する”という思想からはじめている。例えばマエストロの演奏をデータ化して人間の筋反射に与えることで、素人が最高の演奏をしうる。あるいは笑いかけないと開かない冷蔵庫はどうだろう?人間にある種の行動を強いることでその人間の感情を変える。感情が行動を決定するのではなく、行動が感情を決める、と彼は考える。人間が機械を使うのでなく、機械が人間を拡張する、と考える。そのずば抜けた発想と前提にある知識と技術が一体となって新しい製品をあっけなく実現してしまう。経済学では僕の指導教員の須藤修先生はどうだろう。80年代にはすでにネットワーク社会について精緻な分析と展望を示し(正直、同じ年齢25歳時点での処女作『ノイズと経済秩序』(http://goo.gl/6bEKaH)の内容には嫉妬する。)、現在は、国家的・社会的なプロジェクトを多数統括する社会政策家・プラクティショナーでもある。その他、本当に素晴らしい人々がいる(そうでない人もいる笑)。

                  そういうわけで一段落しましたが、2年間(正味2ヶ月間)支えてくれた友達と会社の皆と、兄貴にまずはお礼を言いたいです。本当にありがとう。これから恩返ししますー(*´∀`)

                  P,S 論文はまだ受理されていませんー。でも今日から禁酒を解禁しますー。


                  近藤麻理恵は、なぜ部屋を片付けるのか? 〜自分とは何か?についての根本的な誤解について〜

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                    2世紀にプトレマイオスが体系化した天動説から、16世紀のコペルニクスの登場まで、1500年という長きに渡って人々は「地球の周りを太陽が動いている」と信じてきた。しかし、現代では誰も太陽でなく、地球の方が動いていることを疑っていない。

                    この現代において、ほとんどすべての人々が、自分とは肉体とその周りの意識の一部だと信じ抜いている。滑稽なことである。なぜなら本当の自分とは、広義には「全体」であり、狭義には「環境」であり、それは住む場所や付き合う人々や、部屋の状態、食する物であるからだ。あなたが自己と認知する肉体と精神はその結果にすぎない。我々が自分をそのように矮小化してしまうのは、自己を感知するセンサーを極めて表層的な五感の知覚に限定するからであり、それは原始的かつ本質的な我々の知覚能力を捨て、あるいは単純に忘れてしまっているからである。そのことによって我々は通常、意識の焦点を広大な知識体系と人類全体の記憶と体験という対象に向けることがない。愚かなことである。我々が意識の焦点をわずかに背後に移せば、そこに、考え・感じるという行為を行っている主体者の存在を確認することができる。しかし通常の我々は、考え・感じた「内容」をもって自己と認定してしまうのだ。意識の焦点を、考え・感じた内容という「結果」に当て、それを行っている主体という「原因」に意識を払うことがないのだ。また人との関係において、自己の心に湧き上がるものを是とし、それを生み出す目の前の相手の心に注意を払わない。そちらの方こそが本当の自己であるということを認知しないからである。
                    つまるところ私が言いたいのは、我々は意識の焦点を広げ続けなければならないということだ。背後(悟り)に、隣人(愛)に、地(自然)に、天(使命)に。なぜならそれらの綜合こそが本来の自己であるからだ。

                    「個人」という概念は、意識の境界を便宜的に表現したものにすぎないにも関わらず、あたかもそれが真実であるかのように定義され、現代の社会システムは個人とその権利を中心に設計されている。所有や民主主義など茶番にすぎない。意識の焦点を広く、深く広げてみよ。自分とは全体である、と識るだろう。いや、すくなくとも自分とは環境である、とその定義をわずかでも広範囲に認知し得たとき、我々の人生はすべてが変わり好転する。変えるべきは自分でなく環境であり、整えるべきは服でなく部屋であり、慮るべきは自己でなく目の前にいる他者であると明確に変わる。なぜならそれら周辺こそが本当の自分の姿だからである。

                    洗練された空間や世界の中心都市に人が集うのも、近藤麻理恵の片付けが流行るのも、人に功徳を施す教えが絶えないのも、それら一般的に自分とみなされているものの「周辺」こそが、”本当の自分”であり、それら本当の自分を大事にすることは当然であるという理由に他ならない。片付けによって心がときめくのは、それ(部屋)が自己だからであり、当然の結果である。彼女は優しく真実を突く。

                    脳神経科学や量子力学的な文脈からこの世界の多層次元性の解明が進むなかで、いずれ科学は「本当の自分」を明確な形で我々の前につきつけるだろう。それに対するガリレオ・ガリレイの教会裁判の悲劇と同様の試練を経て、人類はこの普遍的自己の存在を認めざるを得なくなることは想像に難くない。

                    だがしかし、我々個人がガリレオの登場を待つ必要はない。天動説を誰も疑わないその時代において、紀元前3世紀からアリスタルコスは、すでに天体の観察から地動説を見抜いていた。一体、太陽が回っているのか?地球が回っているのか?どちらを信じるかを決めるのは現代において個々人の知性と精神にかかっているのである。


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