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投資の心得 〜3か条〜

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    2008年12月の年末セミナーの総評で話した投資の3つの心得は、僕の投資や事業遂行の原則になってて、その考え方は今でもまったく変わっていない。

    ちょっとここで紹介しておこう。

    -------

    企業を見るときは、3つの視点に着目する必要がある。誠実性・現実性・戦略性である。誠実性とは、すべての関係者(顧客・従業員・パートナー・地域社会)に対する誠実な対応、現実性とはたしかな事業骨格をもち、キャッシュフローを創出していること、戦略性とは未来を見据え“くさび”を打っていることである。

    世界はかわりつつある。モノの製造から流通への覇権のシフト、西洋型の要素還元主義から東洋型有機統合への変化。エネルギー革命、グローバル化からローカライゼーションへの変化である。既存勢力と折り合いをつけつつ新しい時代を切り開こうとしている新進気鋭のプレーヤーが現れつつある。そのようなプレーヤーを私達市民投資家で応援してゆこう。

    将来の世界がどのようになっているかを見つめること。どのような世界になっていてほしいかを頭に描くこと。そしてその世界を実現してくれる企業へ投資をすること。そうすればあなたの投資によって、文字通り世界は「創造」される。あなたの投資したお金とは、10年、20年後にあなたが年金をもらうときに、再び再会すればいい。それまでしばしのお別れである。

    -------

    「投資」と「消費」の境目はあいまいになってきていると思う。

    最近の「ソーシャルファンディング」や「ピアトゥーピア金融」、「物々交換ネットワーク」、「投げ銭」などの新しい金融システムをみていると、それらは従来の投資とは明らかに違う。

    また、消費も従来のように、個人的・物質的なニーズから、相互関係的なニーズを満たす「つながり消費」へと大幅にシフトしている。

    このような消費・投資双方の歩み寄りの方向は、欧米的な成功者による「寄付」ともまたニュアンスが違う新しい経済システムを生み出すだろう。それが資本主義と民主主義を統合昇華させる新たな社会創造システムの解となるのだ。

    僕は、市場とも違うそのような連続的社会創造システムを作り出すことが自分達の世代の使命だと思うし、そんなポスト資本主義の時代に生まれたことを嬉しく思う。

    ぜひそんな思想に興味を持ち、またアイデアや概念を持っている人がいればいつでも連絡を下さい。
    ツイッターは、yamaguchiyoheiです。どうぞよろしく御願いします。







    ポイント義援金という可能性 〜”タグ”のついたお金〜

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      僕が今回の震災で一番、注目しているのは、「義援金」である。

      日本赤十字社には、すでに400億円の義援金が集まった(これは阪神淡路大震災の2.5倍である)。

      だがそれ以上に、今回の義援金に大きな影響を与えたのは「ポイント」義援金の存在である。

      Yahoo!やTSUTAYA、楽天ポイント、Nanaco、エコポイントなどを中心に、かつては存在しなかったポイント義援金が大きな役割を果たしている。なぜなら、これらポイントは、消費者にとって「(タダで)もらったもの」という意識が強く、通常の寄付に伴う感情的な痛みが少ないからだ。

      このポイントというソフトマネーが今後の社会資本の流れを変えることは間違いないだろう。

      だが不十分である。

      今回の復興に、もし25兆円かかるというのであれば、(不謹慎ながら)25兆円の巨大産業が生まれるわけで、そこに伴う”利権”もとてつもない額となる。旧世代の土建屋も族議員も復活することは間違いないし、その復興基金に群がるNPOだって相応の数に上る。皮肉ではない、事実である。タヒチや中越がそうだったし、今回の東電の原子力推進だって過去30年にわたってその巨大な利権に支えられてできあがったものなのだ。(日本の原子力異存率は20%未満に過ぎない)

      税金と義援金の多くは残念ながら利権に消えるだろう。誰もアカウンタビリティを追及しないからだ。

      僕は、義援金を出すなら(税金を出すなら)、そのお金の流れをトレース(追跡)できるべきだと思う。
      そんなに難しい話ではない。

      今日のお金は電子化されているのがほとんどだ。だからたとえば、僕達がポイントで義援金を1万円出すとして、そのときにその1万円に”タグ”をつけておくのだ。

      すると、その1万円が最終的に、毛布になったのか、水になったのか、住宅復興基金に流れたのか、誰かの懐に入ったのか、トレースすることができる。

      別に監視をしようというのではない。ただ自分の出したお金が最終的にどのように使われたかを知ることができるならば、僕達は、より社会の議決権であるお金というエネルギーを社会に還流させようと積極的に動くようになるのではないかと思う。

      ”タグ”の付いたお金は、ひとつのアイデアである。


      僕の理想とする会社は、「可能性に対して適切なエネルギーが供給される社会システム」である。ハーバードのサンデル教授が言うように、「最高のバイオリンは、最高のバイオリン弾きの手に渡るべき」なのだ。

      それを、実現するのは、これまでの銀行を通じた間接金融主体でもないし、マーケット至上主義でもない。

      それを実現するのは、”想い”を乗せたお金の流れ、なのだ。


      究極の電気自動車

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        慶応大学の清水教授は、究極の電気自動車、ellicaを開発した信念の人である。
        縁あって、先日、このellicaに試乗することができた。

        8輪駆動のellicaは、急激な加速がそのもっとも大きな特徴である。
        教授曰く、「人は、ジェットコースターのような下への加速、後ろへの加速は嫌いだが、前への加速は心地よく感じる。ellicaはそれを提供することができる。」

        現在、ブームになりつつある電気自動車はエンジンをガソリンでなく電気に置き換えたものに過ぎない。
        ellicaの特徴は、車輪そのものに駆動装置を組み込んでいることにある。その結果、急激な加速と時速350kmというパワーを手に入れた。


        さて、このellica、市販化するためにはどうすればいいのだろうか?
        私になりにそのシナリオを考えてみた。

        まず、この車は見ても聞いてもだめで、実際に乗ってみないとその楽しさ・すごさが伝わらない。

        したがって、ellicaを連れて、ユニバーサルスタジオ、ディズニーリゾート、お台場、筑波、ラスベガスへと“ロードショー”を行う。

        これで約10000人に試乗してもらうことができる。

        会場では、この究極のエコカーの実現に向けた寄付を募るとともに、アンケートを実施、価格感、求める体型イメージなどのマーケティング調査を行う。場合によっては実際の購入者を集めることもできよう。
        このロードショー情報をもとに精緻な事業計画を策定してゆく。

        ここまでは、つくば万博で一世を風靡したリニアモーターカーと同じである。

        その先はやや困難である。

        ellicaの現在のモデルだと、製作費を考えても安くても売価1億円はする。
        1億出せる酔狂な客は、一部の企業と、金持ちだけである。
        だから彼らを満足させる“味付け”が必要である。

        まずエコの看板は外せないし、選ばれた感(エリート感)のあるプロモーションは欠かせない。

        したがって世界に10〜20台限定として、入札はオークション形式にしてみてはどうだろう?プロモーターは、アル=ゴアか、ハリウッドのセレブ俳優が必要だ。

        すると、うまくプロモーションできれば数十億の資金調達ができるし、これを元手に製造体制を確立することはできる。

        ここまでで第一次フェーズは終了だ。

        次は、第一次フェーズの実績をもとにした本当の資金調達の実施である。

        この段階では、50〜100億の資金調達を目指して、マネジメントチームの確立と資金のExit戦略まで練り込む必要がある。

        すでに第一次フェーズで成果が上がっていれば、二次フェーズでは各分野のプロフェッショナルを集めやすくなっているはずだ。第二フェーズでは、ポルシェなど既存のメーカーとの協業のもと、数千万円の高級車を製造・販売することになる。

        第二フェーズまでがうまくいけば、市場での認知度も高まり、その後の大衆化、モデルの汎用化に向けた体制も整ってゆくであろう。

        最初から普及を目指すのは難しい。
        このように、じわじわと価格を下げつつ、モデルも大衆化し規模拡大を果たして行くというのが事業化のコツである。






        いくつかのプロジェクト

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          現在、貨幣論について、まとめているのであるが、その中での結論は、「貨幣の相対性を明らかにすること」にある。

          つまり、お金というのは絶対的な存在ではなく、他のコミュニケーションツール(言語・コミュニティ)との比較において、その汎用性が著しく高いものにすぎない、その反面、コミュニケーションの深さの度合いは低いものである、ということを語ることになるだろう。

          では、絶対的なコミュニケーションツール、つまり、汎用性および深度においてもっとも秀でたものは何かと問われればそれは、やはり●ということになるのである。

          私が中年・老年になる頃には、社会における貨幣の位置づけは、せいぜいファミレスのクーポン券まで下がっているというビジョンが私には見える。

          そのビジョンにむけた、現在、想定されるアプローチは二つある。

          ひとつは、「世界年金」である。
          人間の社会的基礎的生活を世界レベルで担保する福祉政策の実現である。
          これは、現在の地球資源の偏向(たとえば戦争、過度な奢侈)の是正により、達成可能なものである。

          もうひとつは、「すべてがひとつであること」をビジュアライズすることである。世の中の、自己・企業の活動が実はすべて有機的につながっていることを図示することで、「情けは人のためならず」を理論的に表現し、それを伝えることで、利他的行動を促進するものである。

          上記2者のアプローチはいずれも困難であるが、実現可能性がないわけではない。大切なことは、社会的動機と勇気、忍耐、崇高な精神の持続なのであろう。それこそが、自分が命を賭けてでもやり抜く価値のあるものと信ずる今日この頃である。

          現代版貨幣論 〜お金の正体とは何か?〜

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            貨幣について、書きました。
            よかったらご参照ください。

            1.銀行という錬金術 〜お金はどうやって作られるのか?〜


            2.20世紀最大の詐欺 〜誰がお金をコントロールしているのか?〜

            ざっくり企業価値評価

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              ざっくり企業価値評価の検索窓です。
              ▼企業名か銘柄コードを入力してください。


              親愛なる消費者金融

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                2006年のノーベル平和賞の栄誉は、バングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏と同氏が創設したグラミン銀行に贈られた。

                ユヌス氏の功績は、“マイクロファイナンス”の普及にある。

                マイクロファイナンスとは、成長意欲のある貧困層の自活のための小口貸し出し(平均5万円)を行なうもの。金利は、月平均3%(年利20〜25%)程度であり、途上国の闇金融の金利100%よりはるかに低い。

                マイクロファイナンスの素晴らしさは、その“慈善性”と“経済性”の両立にある。

                この世知辛い資本主義社会にあって、世界の人口の70%を占めるといわれる貧困層への融資による社会全体の富の増大に果たす役割は大きい。
                しかしそれだけでなく、このようなチャリティ的要素をビジネスベースでペイさせている点が評価される理由だ。

                では、一般に言われる消費者金融とマイクロファイナンスの違いはどこにあるのか?

                それは、性善説と性悪説の違い。

                マイクロファイナンスでは、人間の経済力と倫理観は異なる、という考えから出発する。実際に貧困層への貸し出しをメインとするグラミン銀行の回収率は95%を超えるという。顧客の95%は自営業を営む女性だ。

                マイクロファイナンスが、長期的視点で投資的行動(例えば、商売道具の購入や運転資本の提供)に対して行なわれる一方で、消費者金融は、短期的視点で消費的活動(例えば、ギャンブル)のための融資を主とする。

                両者の顧客は、「お金がない」という一点では共通するが、その原因が、環境的要因によるものなのか、内的要因(人の考え方)があるかにおいて大きく異なる。

                消費者金融は、「金は、貸付け、とりたててるべきもの」という点に力点をおいており、基本的に“お金にルーズ”な人をターゲットとしている。

                昨今の金融庁の規制強化(貸し出し金利の実質引き下げ)により、わが国の消費者金融各社は、風前のともし火だ。

                既存の消費者金融では、高コスト体質(莫大なTVCMコスト)と低い社会的評価で生き残ることはできないだろう。

                生き残りには、コスト構造だけでなく、金貸しとしての思想的転換が必要である。

                マイクロファイナンスは、社会的な意義も大きく、コストとリスクをうまくマネージする必要があるため、金融のプロとしてもっともチャレンジングな領域であり、世界のエリートが今熱い視線を送っている。


                マイクロファイナンスについて学ぶにつれ、最近、バフェット型投資に、自分が違和感を覚えつつある理由がようやくわかってきた。

                株価を、単なるお金の記号として捉えるトレーディングは別としても、企業の価値創造に賭けるいわゆる“投資”の成果には、二つの側面があると思う。

                一つは、投資先の財務収益、もう一つは、投資先がもたらす社会収益である。

                財務収益(ROI)については、ご存知、DCF法をはじめさまざまな評価指標がある。

                バフェット投資の違和感は、コカ=コーラやフィリップ=モリスといった高い財務収益を達成する企業は、果たして高い社会収益を生んでいるのか?ということ。

                人間の惰性に依存し、財務収益を独占する企業への投資は、金銭面でのメリットは享受できるのだが、そのスタンスに違和感がある。

                一方で、社会全体の富の増大を意味する社会収益(SROI)については、いまだそれを計量するフレームワーク(枠組み)が明確でない。

                社会全体への価値貢献を可視化しうる枠組みができれば、社会価値創造をさらに進める動きが起こるのではないか?と期待する。

                このような動きは、所有という概念を否定するものにつながる。

                ジョージ=ソロスは、著書「社会秩序の崩壊」で「自分だけよければ社会」への警鐘を鳴らしているが、世界(社会)が一つであり、すべての人がつながっているという究極の理解の上では、分離を意味する貨幣の存在はほとんど意味を持たない。

                マイクロファイナンスのような資本主義構造の中でも発展しうるあらたなシステムが、人類全体の富の拡大に寄与してゆくことを信じる。

                P,S しかし、“マイクロ”ファイナンスっていうのも、借りる側からしてみれば失礼な話だな。本人にとっては、500ドルも大金だろうに。

                エンロン The Smartest Guys in the Room

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                  映画「エンロン」の続きです。

                  エンロンの元CEO、ジェフ=スキリングは、とびっきりの天才だった。

                  ハーバードMBAの入学時に、試験官から「ところで君は頭がいいかい?」と聞かれて答えたのが、

                  「Fucking smart(うんざりするほど)」

                  ぐうの音も出まい。

                  エンロン事件は、超エリート集団が引き起こした人類史上最大の企業詐欺といわれる。
                  緻密な会計操作(クリエーティブアカウンティング)によって創り上げられた偽りの利益。そしてその上に乗っかる株価。
                  現代の錬金術である。

                  エンロンを見て思ったこと。

                  それは、今日のビジネスの最先端の問題は、
                  「いくら稼ぐか?」ではなく、「いかに稼ぐか?」であるということ。

                  経営資源の利用可能性が極限まで高まった21世紀では、ビジネスの問題は、可能性の問題ではなく、選択の問題へと移るはずだ。

                  稼げる、でもそれをやるか?という視点だ。

                  昨今はMBAでも戦略やファイナンスなどの古典的な“スキル”に焦点を当てたものから、integrity(誠実さ・正直さ)や、Principle(信念)の醸成といったなかば精神論的なものを多く取り入れつつあるように思える。

                  抜群の頭脳を持ってすれば、市場(社会)の穴をつけば、短期間で「金」をつくることはたやすい。

                  それをマネージするための手法は「法」ではない。
                  倫理である。
                  法は社会規範を規定化するシステムだが、その“網”の展開速度は、ビジネスの展開スピードと比べるとかぎりなく遅い。
                  立法システムと事業システムの効率性の差は歴然だし、解消の見込みは薄い。
                  したがって本質的には、我々自身の「倫理」に従うほうが早い。
                  (私は個人的には、法の成熟度は、意識の未成熟度と比例すると思う。)

                  簡単な話だ。
                  胸に手を当てて考えればいい。
                  あるいは、5歳の自分の息子に誇れるか?と自問自答すればいいだけだ。


                  不思議なものだが、事業がうまく行くときとそうでないときを分けているのは、自分の心のあり方だという気がする。

                  事業の成功に戦略やスキルが影響を与えることは疑いの余地はない。
                  ただ、継続的な事業推進のエンジンは、むしろ私たち自らの成熟度にかかっているのかもしれない、と思う。

                  エゴ(金ともいいかえられる)は動機にはなるが推進力にはならない。
                  推進力になるのは、いつも一つ。それは信念(愛とも言い換えられる)である。

                  P、S エンロン元会長のケニー=ボーイ(ケン=レイ)も、CEOのスキリングも昔は良い顔をしていた。

                  彼らは、エネルギー市場の規制緩和と流動化は、社会に価値をもたらすと純粋に信じていたのだと思う。
                  ただ逆回転に回りはじめた歯車を止めるすべをしらなかっただけ、そんな気もする。

                  映画「エンロン」を全編通してみて気づいたのが、“労働のにおい”がまったくしないこと。ナイーブな労働価値説を唱えるつもりはないが、数億ドル稼ぐエリートの子供っぽいしぐさ(トレーディングのコードネーム付けなど)を見ているとTVゲームにはまっている子供たちを彷彿とさせられてむなしい気分になった。


                  エンロン、最大の茶番劇

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                    エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」は、壮大なる茶番の映画である。

                    エンロン事件は、会計操作によって株価を操った巨大粉飾事件である。

                    それは私がアーサーアンダーセンにちょうどいたときに起きた。朝、出社すると会社のメッセージに長い英語のアナウンスが入っていた。内容は「あらゆる資料を破棄してはならない」というもの。
                    おそらくSECの調査が入ったためであろう。

                    CEO・アナリスト・会計士、あらゆる専門家が策謀して創り上げた株価。
                    実態なき幻想が、株価という現実を作り出す錬金術の世界。

                    ケインズの「美人投票」が語るように、さまよえる集団心理のタペストリーを読むとくことが本当の「投資」というなら、それはとても寂しい。

                    純粋な意味では、投資とは、価値を生み出す企業に、自らの“票”を投じる応援行為だと思う。

                    ただ、貨幣(も株も)生まれたときからそれ自身が投機的性質を持たざるを得ないのだ。

                    バリュエーションマトリクス2.0がオープンしました。

                    これは「株で儲ける」ためのツールとしてだけではなく、「正しい株価とは何か?」を問い直すシステムに進化してほしいと思う。

                    ユーザーは、表面的な株価の動向に惑わされず、実態をみるための術を手に入れられるだろう。

                    そして、ゆくゆくは、集積された市民の知を、企業にフィードバックする役割を担えたらいいと思う。

                    企業と市民(投資家)のよりよいコミュニケーションのために。

                    ジョージ=ソロスに会いました

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                      ソロスが来日し、レセプションに行ってきました。
                      投資的側面での私のコメントはこちらです

                      ソロスに会うまでと会った時までの期間(1ヶ月)に得たインスピレーションをまとめておきたいと思います。

                      ソロスは、“現実”を知ることの難しさを理解し、それを学び続けることを実践してきました。

                      ソロスは、市場の“現実”は、伝統的な経済学が言うように、均衡点に向かうのではなく、実は、その対極に向かっているということ、そしてバイアスは、新たな現実を作り出しそれがまた大きなバイアスを作る、結果としてブームが起こり、最終的に実態とのかい離が修正できない点に達したところで、バーストが起こる、ということを理解しました。
                      結果として、国際投機において大きな成功を収めることになりました。

                      私は、価値を見抜いて投資をするバリュー投資家でありながらも、このバイアスというものの正体についてもじっくりと考えてみたいと思っています。

                      投資の世界において、ファンダメンタリストとテクニカルトレーダーは犬猿の仲です。

                      ただ、両者の目的はともに、投資で利益を上げるという点で一致しており、異なるのはその手法だけです。
                      前者は、後者を“インチキ”扱いしたがり、後者は前者のことを“臆病者”扱いします。

                      私は、どちらが正しい、と決め付けるのでなく、両者の世界の捉え方の違いに着目したいと思います。

                      ソロスは、ジム=ロジャースと組むことで成功しました。
                      ソロスは、投機家、ロジャースは、投資家と呼ばれます。
                      考え方の違う二人が、共通の目的の元、力をあわせたことが勝因かもしれません。
                      (ジム・ロジャーズと訣別した翌年の1981年に、ソロスのクォンタム・ファンドは創設以来はじめての損失を出しています)

                      大事なことは、批判することではなく、世界を見つめる切り口を広げてゆくことではないでしょうか?


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