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そもそも選挙って必要か? ~政治家いらずの政治をちょっとだけやろう~

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    今回の都知事選で感じたのは、みんな選挙が苦痛なんじゃないかということ。
    これからネット選挙がもっと開放されて、きっとスマホで投票できるようになるだろうけど、そもそも「人」を選ぶという間接的な方法自体がどうなんだろう?
    政治とは要するに、税金の配分なのだから、たとえば、市民が直接、政策案を投稿して、それについて、今のクラウドファンディングのしくみのように、ある一定のバー(例えば、区民の5%)を超えたら自動的にその政策が実行されるようにすればいい。 これで、市民の直接の提案が一定の民意を得れば実行されるわけで、「政治家いらずの政治」ができる。もちろんすべてそういうわけにはいかないので、市や区の予算の1%くらいをこの方法に割り当てる。99%は従来のやり方をしますよ、でもほんのすこしだけ、直接民主主義でやりましょう!というぐらいなら実現可能性があるのでは?
    提案の賛同のサイトこんなイメージ(ださいけど
    あるいは、いまはお金は電子的になっているので、スイカなどで消費した時に、消費税分の使い道を個人個人があらかじめ「臓器カード」のように税金の◯%を福祉に、◯%を教育になどと最初に表明しておけば、そのお金が税金として自動的に行政で使われるというしくみも可能。電子的なお金にタグをつけるという発想ですね。これも政治家を通さずに民意を反映する方法かと思います。
    こういう直接的な民意反映方法をつかえば、選挙なんて4年に1回みたいなサイクルでやる必要も徐々になくなるし、毎日、自然に投票している感じになるんじゃないかな。
    市民も意見が反映されるチャンスが増えるし、政治参加意欲もあがると思いますー。
    JUGEMテーマ:政治

    「風の谷のナウシカ」と「マトリックス」の不思議な共通点

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      「崖の上のポニョ」で有名な宮崎駿監督の出世作は「風の谷のナウシカ」である。たしか1984年の映画で子供ながらにとても感動したのを覚えている。

      このナウシカ、実は原作の漫画のストーリーは全然異なる。
      宮崎は、何度も休載を挟みながら、月刊アニメージュでナウシカの連載を続け約14年かけて漫画を完成させた。連載が終わったのは1995〜7年?である(たしか)。もうその頃には、ラピュタやトトロを出していたから監督業が本業の大変な有名人になっていたはずだ。にも関わらずナウシカの漫画を書き続けていたことになる。

      さて、映画のナウシカは、ご存じの方も多いと思うが、軍事国家トルメキアのクシャナ姫が、古(いにしえ)の巨神兵を求めて風の谷にやってくるところから始まり、最後は怒り狂ったオウムの大群にナウシカがたった1人で立ち向かい奇跡によって風の谷を救うところで完結する。

      ところが漫画では、クシャナは最初からナウシカの盟友であり、オウムの大群は物語の前半の事にすぎない。両者はかなり異なるということだ。

      ナウシカの物語は、3つのテーマで構成されている。
      最初は、「腐海の謎」、次に「オウムの愛」、最後が「聖都シュワの墓所で明らかにされる生命の本質」である。
      映画はそのうち前の2つを取り扱っている。

      「腐海の謎」とは、なぜ腐海が生まれたのか?という問いであるが、人間がマスクなしでは入ることのできない森は、人間を拒否する「敵」ではなく、実は人間の物質文明を浄化させる役割を担っている、ということをナウシカは知る。普通の人が単純に「悪いもの」として認識する腐海に対し、ナウシカはその真の存在意味を見いだしている。偉大なる人物とは目には見えない真実を洞察する力を持っている。
      つまりこれは「本質は何か?what's the truth?」というテーマであり、それは「真実は意外である」というストーリーテリングの基本形でもある。

      次の「オウムの愛」は、怒りの大群となって押し寄せるオウムに対し、恐れることなく純粋な心でこれに臨むナウシカによって、オウムの目の攻撃色が消えてゆくという奇跡であるが、このテーマは、「愛こそすべて、愛が地球を救う 〜love is all〜」であり、これも物語の基本形であろう。

      ところが、漫画でしか描いていない3つめのテーマは実に奥深い。
      漫画版のクライマックスは、トルメキアと戦争をしている土鬼(ドルク)諸侯国の地の深くに眠るシュワの墓地におけるナウシカと古代西欧文明の対話である。この対話において、墓地の主は、ナウシカに対し、「腐海もオウムも巨神兵もすべてかつて我々が創り出したものであり、我々(人間)のために(浄化の)役割を担っている」と言う。
      これをナウシカは完全に否定する。
      「否。確かにそれらは“最初”は、ひとにより創り出された“モノ”かもしれない。だが生命とは創造された瞬間からそれ自身が自由意思を持ち、生を全うしはじめる。誰も何もコントロールすることはできない。何も誰も誰かのモノではない。生命とはそれ自身が創造のプロセスである。腐海もオウムも巨神兵も人間の犯した罪を浄化するためのモノではなく、それら自身が創造のプロセス(これをフロー)なのである。」と喝破するのである。
      自己存在(be with love:神(愛)とともに存る)こそが「生命の本質」であり、これがナウシカの究極のテーマなのである。
      『すべてがすべてである』と宮崎は言っている。そこに神(愛)と人間(魂)の区別はない。ただ“すべて”がありそれこそが生命(あるいは宇宙)の本質である、といっているのである。

      ここまでに壮大なテーマを内包する物語はそれほど多くはない。
      我々の目にする物語の多くは安易な勧善懲悪であり、せいぜい人間の創造性の賛美、愛の偉大さなどをテーマとする。神話は人間の葛藤と克服をテーマとするがナウシカの物語の偉大さは、「すべてがすべてである“究極の一元生”」という“真実”をテーマにしたところにあるのかもしれない。

      などと話をしていたら、「映画マトリックスもそうだよ」と言われた。
      私自身はマトリックスを第1話しかみていないのでめったなことは言えないが、マトリックスも第一話は、「隠された世界の真実(マトリックスの存在)」を語り、第二話は、「愛こそすべて」がテーマで、第三話が「愛を超えて〜世界は創造のプロセスの中に〜」であると言う。主人公ネオは、第一話では、マトリックスのシステムを知り、その破壊に尽くす。これは単純な勧善懲悪である(私にとっては面白くなかった)。だが最後には、システムの弊害を知りながらシステムの中にネオ自ら“溶け込んでゆく”のだという。

      偉大なる物語は、二元論ではなく、究極の一元生をテーマにしている点で共通しているのかもしれない。

      そういえばナウシカにはいくつかの伏線がある。

      オウムは「我は個にして全、全にして個なり」と言う(たしか二巻)
      後半で巨神兵もまったく同じ事を言う。

      この二作品、オトナになってから改めて見てみるとちょっと面白いかもしれませんよ。

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