ダイヤモンドで連載始めました

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     最近、ブログ遅くてすみません。もしよかったらツイッター(yamaguchiyohei)のフォローを御願いします。


    ダイヤモンド・オンラインで連載を開始しました。今、第三回まで出ています。こちらもよかったらどうぞ

    第一回
    “課長 島耕作”になれるのは100人中3人だけ!
    現代の勝ち組は実は「ニート」!?

    第二回
    札束を積むより信用を築け!
    〜FacebookやTwitterがつくる21世紀の“信用主義経済”をよりよく生きるコツ〜

    第三回
    貨幣は『ショートカット(中抜き)』される時代へ
    お金を介さない価値交換を実践しよう

    投資の心得 〜3か条〜

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      2008年12月の年末セミナーの総評で話した投資の3つの心得は、僕の投資や事業遂行の原則になってて、その考え方は今でもまったく変わっていない。

      ちょっとここで紹介しておこう。

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      企業を見るときは、3つの視点に着目する必要がある。誠実性・現実性・戦略性である。誠実性とは、すべての関係者(顧客・従業員・パートナー・地域社会)に対する誠実な対応、現実性とはたしかな事業骨格をもち、キャッシュフローを創出していること、戦略性とは未来を見据え“くさび”を打っていることである。

      世界はかわりつつある。モノの製造から流通への覇権のシフト、西洋型の要素還元主義から東洋型有機統合への変化。エネルギー革命、グローバル化からローカライゼーションへの変化である。既存勢力と折り合いをつけつつ新しい時代を切り開こうとしている新進気鋭のプレーヤーが現れつつある。そのようなプレーヤーを私達市民投資家で応援してゆこう。

      将来の世界がどのようになっているかを見つめること。どのような世界になっていてほしいかを頭に描くこと。そしてその世界を実現してくれる企業へ投資をすること。そうすればあなたの投資によって、文字通り世界は「創造」される。あなたの投資したお金とは、10年、20年後にあなたが年金をもらうときに、再び再会すればいい。それまでしばしのお別れである。

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      「投資」と「消費」の境目はあいまいになってきていると思う。

      最近の「ソーシャルファンディング」や「ピアトゥーピア金融」、「物々交換ネットワーク」、「投げ銭」などの新しい金融システムをみていると、それらは従来の投資とは明らかに違う。

      また、消費も従来のように、個人的・物質的なニーズから、相互関係的なニーズを満たす「つながり消費」へと大幅にシフトしている。

      このような消費・投資双方の歩み寄りの方向は、欧米的な成功者による「寄付」ともまたニュアンスが違う新しい経済システムを生み出すだろう。それが資本主義と民主主義を統合昇華させる新たな社会創造システムの解となるのだ。

      僕は、市場とも違うそのような連続的社会創造システムを作り出すことが自分達の世代の使命だと思うし、そんなポスト資本主義の時代に生まれたことを嬉しく思う。

      ぜひそんな思想に興味を持ち、またアイデアや概念を持っている人がいればいつでも連絡を下さい。
      ツイッターは、yamaguchiyoheiです。どうぞよろしく御願いします。







      攻殻機動隊 〜ソリッド・ステート・ソサエティは本当に荒唐無稽な幻想か?〜

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        攻殻機動隊は、日本のアニメの中でも有数の人気を誇っており、マトリックスの監督が大きな影響を受けるなど世界的な評価も高い。

        現在、全国劇場で放映されている「攻殻機動隊 Solid State Society 3D」は、当初、単館上映だったが、現在は上映期間も伸び、また地方各地で放映されるようになっている。このGW、新宿バルト9はいつも満席だ。

        攻殻の面白さ・人気の背景には、「どうやら遠からず起こりそうなネット社会の近未来」を明確に描き出していることがある。

        今回のSolid State Societyも、(ネタばれになるが、)少子高齢化社会において、社会生産性の低下をどう解決するかというアイデア(システム)が面白い。

        このSolid State Societyとは、端的に言うと、虐待されている6歳以下の子供達を抽出・誘拐し、貴腐老人とよばれる身寄りなくネットにつながったまま介護を受け続ける孤独な高齢者の養子とすることを自動的に行う社会システムである。

        高齢者の遺産を養子に相続させ資金を還流することで、子供にとっては成長のチャンスを得、老人にとっては自らの存在意義を見出すという双方のメリットを実現している。

        実際、わが国のドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)や児童虐待の比率は年々急増しており(その多くは経済的理由によるもの)、一方で孤独な死を迎える資産を持った老人も増えている。この両者の満足を一度に解決するシステムの仮説として面白い。

        ちなみにこの原作ができたのは、2006年だから今から5年も前の話であり、少子高齢化が今ほど危機的に叫ばれていた状態ではなかった。

        僕は以前、似たようなしくみで「孫ファンド、ひ孫ファンド」というものを構想し、twitterでつぶやいた。
        これは、子供が生まれる前にあらかじめファンドを作って、家族に子供が生まれたら自動的にそのファンドから養育費を捻出する仕組みである。このファンドがあることによって現役世帯は子育て費用を確保できることがあらかじめわかるので、安心して子供をつくることができ、年配世帯は、資金の拠出を確約する一方で、子供達が結婚し、孫、ひ孫を生んでくれることを期待できるようになる。60代以降が資産の八割を持つこの国では、世代間所得移転を丁寧に設計する必要がある。相続税控除を絡めてもいいだろう。

        いずれによせ、高齢者・現役生産世代・子供たち、皆にとって一挙両得なこのような社会システムを考案することで、マクロ的な構造改革を目指すべき段階にきていることは間違いない。

        僕がすごいと思うのは、こういったドラスティックでかつ実際的なアイデアが、「アニメ」という政治・政策の本流とはいえないところから出てくることだ。

        その一方で、お偉方は、アニメ産業を「娯楽・映像コンテンツ」という角度からしか捉えていない。昨今のアニメの表現規制もそうだ。もちろん問題もある。だがそれはこの産業のもつ影響力と裾野の広がりと捉えることもできる。

        アニメはもはや単なる映像ではない。その産業の深遠に眠る「クリエイティビティの源泉」を掘り出し、社会や産業に適用することで新しい可能性を見出すことが可能なのだ。

        現在、攻殻機動隊を製作するプロダクションIG(上場名は、親会社IGポート)の時価総額はわずか25億であり、ディズニーの時価総額1兆円の400分の1である。情けない話である。僕達の世代ににできることは、この基幹産業となる可能性のある分野を積極的に支援し、ライツを中心に現在の収益モデルを進化させることなのだ。

        “引く”ことで浮かび出るもの

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          断舎利をはじめとして、最近は「引き算」が流行している。

          これ以上経済が膨張する可能性がないこの国においては、足して幸福になるよりも足るを知ることで幸福を目指すほうが合理的だと皆気づき始めている。

          ビジネス書の売れ筋をみても、これまでは勝間和代さんの「年収10倍アップ勉強法」を筆頭にスキルアップ系が売れていたが、昨今は、ちきりんさんの「ゆるく考えよう」など自然体で、”求めない”ことを志向する内容がベストセラーになっている。

          キャリアの似た二人だが、前者は幸福になるために能力を上げることを唱え、後者は期待値を下げることを説く、という点でその意見は対照的なのが面白い。

          同じグルメサイトでも、レストラン評価の「食べログ」よりもレシピサイトの「クックパッド」の人気が高くなっているのも、外でお金を使わないで、家でおいしいものを作ることで幸せになる道を模索している結果だろう。

          ちなみに、クックパッドの人気レシピは、「水を使わない肉じゃが」でこれは本当においしい。素材のうまみを引き出すためにできるだけ水を「足さない」、というのは料理のコツの一つである。

          栄養学も変化しており、昔は、カロリーやビタミンなどの成分をどうやって何を体に取り入れるかが中心で、みのもんたなどが、あれこれ体にいいものをPRすると売り切れることもしばしばだったが、最近は、体から「出すこと」によって免疫力や体本来の機能を再起動させる酵素(エンザイム)栄養学が流行の中心だ。

          ベストセラーになった「病気にならない生き方」を読めばわかるように、酵素を取り込むためには、「なるべく加熱しない(酵素は47度以上で死んでしまう)」、「消化酵素を無駄遣いしない(食べ合わせと食べる時間を守る)」のが鍵である。

          朝食を抜く”(ファスティング:断食)ことはたしかに有効で、僕も実践しているが、胃腸と消化の負荷が減ってきたせいか、体調も回復してきた。アトピーに悩まされていた友人もこのファスティングで調子を取り戻している。

          僕は朝食の代わりに朝はにんじん・りんごジュースをジューサーで作って飲むことを続けているが、朝の4時から昼の12時までの体の排出サイクルの時間帯に消化の必要性があるものを体に取り入れず、酵素を得る、という面でたしかに理に適っているようだ。

          ちなみにジューサーは、友達の紹介してくれた「スタイルプラス」のもので、にんじんもりんごも丸ごと入れることができるので便利だ。にんじんは、無農薬のものをネットで10キロ単位で買っている。

          これまで僕達は、栄養や健康というと、「いかに体に良いものをとるか」ということに拘泥してきたが、この飽食の時代、逆に、「引く」ことにより、体本来のパワーを呼び起こすというのは、言われてみるとなるほどという点が多い。経験的に朝食を抜いても決して不健康になるということはなく、むしろ体重も適正化し、スタミナもついてくる。


          モノを持たない、という動きは、社会の様々な方面に広がっている。サーバの所有からクラウドへ、車も所有よりカーシェアへ、そして持ち家から賃貸志向・ルームシェアへ。

          消費の中心は、特定の目的を買う「機能消費」から、他者との有機的な関係を再構成する「つながり消費」へと変化しつつある。

          戦後、ひたすら「足す」ことで“個人”の五感を満足させてきた我々の社会は、今、「引く」ことで”個人間”の関係を取り戻そうとしているのかもしれない。


          問題にぶつける”触媒”を探す

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            個人的な悩みであろうと、ビジネス上の現実的課題であろうと、問題解決の手法が大きく変わっていることは同じである。

            かつては、問題といえば、「現状」と「理想」とのギャップであった。その差分を埋めるために問題をさまざまな要素に還元してノイズ(無駄)を省くことが主であった(ロジカルシンキング)。問題とは、定量的なものであり、その解決法は効率性の追求だった。

            ところが今日の問題は、「対立」である。対立とは人が矛盾を望んでいる状態であり、矛盾とは、人がAとBの両者を成り立たせようとして「もがいている」状態である。だからAとBを両者とも成り立たせるCの発見こそが問題解決である。その場合、問題とは、定性的なものであり、その解決法は、効果性、つまり質的変化の追及である。それを多くの人はイノベーションと呼ぶ。

            さて、周りを見渡してみると、軽やかに現在を生きている人にはひとつの大きな視点的特長があることに気がつく。それは、彼らが決して「予定調和ではない」ということだ。僕はこれはとても大事な気づきだと思う。

            もちろん、彼らは問題やその解決を放棄しているわけでない。そうではなくて、問題を解決するために、あえて「合目的的」な思考を放棄しているのだ。

            彼らはイノベーションを起こすためのプロセスを自分の中に確立している。

            それは大きく3つのアクションからなる。

            1.置かれている現状に対するきわめてクリアな客観的状況認識(A)
            2.現状にぶつけるべき”様々な触媒”(異質な体験)(B)。
            3.(A)に対して、(B)をぶつけたときに生まれる(C)の観察と記録、それと(A)とを比べてみた変化についての理解

            つまり、あらかじめ明確にプロセスやゴールを確立しているのではなく、現状(A)に対し、様々な異質な(B)を、カーリングのようにぶつけ(対話:ダイアローグ)、その結果、創造される(C)をよく観察・租借することによって、(A)から(C)への質的変化を連続的に達成しているのである。これは誰にも言わないけど彼らの中では自然に行われていることなのだ。

            ここで、対話されるAとBの距離はほどほどに遠く、ほどほどに近距離にあることが好ましい。
            近すぎれば異質性が見出せないし、遠すぎれば共通基盤がなく対話にならない。
            (就職相談をするならば、そこそこ親しい友人に相談するのがうまくいきやすい、というのはこういうことなのだそうだ)

            よく言われるようにアイデアとは、既存の物事の新しい組み合わせのことである。オタク文化とドラッカーを結びつけてベストセラーになった「高校野球のマネージャーが〜」がすばらしいのは、すでに存在していた二つの異質な世界観をぶつけ、対話を成功させた編集の手によるものである。

            もし、問題解決を生業にするのならば、これからのコンサルタントは、ポケットにちょっと遠いけど、遠すぎないボールをいつも心のポケットの奥にしまっておく必要があるだろう。


            ポイント義援金という可能性 〜”タグ”のついたお金〜

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              僕が今回の震災で一番、注目しているのは、「義援金」である。

              日本赤十字社には、すでに400億円の義援金が集まった(これは阪神淡路大震災の2.5倍である)。

              だがそれ以上に、今回の義援金に大きな影響を与えたのは「ポイント」義援金の存在である。

              Yahoo!やTSUTAYA、楽天ポイント、Nanaco、エコポイントなどを中心に、かつては存在しなかったポイント義援金が大きな役割を果たしている。なぜなら、これらポイントは、消費者にとって「(タダで)もらったもの」という意識が強く、通常の寄付に伴う感情的な痛みが少ないからだ。

              このポイントというソフトマネーが今後の社会資本の流れを変えることは間違いないだろう。

              だが不十分である。

              今回の復興に、もし25兆円かかるというのであれば、(不謹慎ながら)25兆円の巨大産業が生まれるわけで、そこに伴う”利権”もとてつもない額となる。旧世代の土建屋も族議員も復活することは間違いないし、その復興基金に群がるNPOだって相応の数に上る。皮肉ではない、事実である。タヒチや中越がそうだったし、今回の東電の原子力推進だって過去30年にわたってその巨大な利権に支えられてできあがったものなのだ。(日本の原子力異存率は20%未満に過ぎない)

              税金と義援金の多くは残念ながら利権に消えるだろう。誰もアカウンタビリティを追及しないからだ。

              僕は、義援金を出すなら(税金を出すなら)、そのお金の流れをトレース(追跡)できるべきだと思う。
              そんなに難しい話ではない。

              今日のお金は電子化されているのがほとんどだ。だからたとえば、僕達がポイントで義援金を1万円出すとして、そのときにその1万円に”タグ”をつけておくのだ。

              すると、その1万円が最終的に、毛布になったのか、水になったのか、住宅復興基金に流れたのか、誰かの懐に入ったのか、トレースすることができる。

              別に監視をしようというのではない。ただ自分の出したお金が最終的にどのように使われたかを知ることができるならば、僕達は、より社会の議決権であるお金というエネルギーを社会に還流させようと積極的に動くようになるのではないかと思う。

              ”タグ”の付いたお金は、ひとつのアイデアである。


              僕の理想とする会社は、「可能性に対して適切なエネルギーが供給される社会システム」である。ハーバードのサンデル教授が言うように、「最高のバイオリンは、最高のバイオリン弾きの手に渡るべき」なのだ。

              それを、実現するのは、これまでの銀行を通じた間接金融主体でもないし、マーケット至上主義でもない。

              それを実現するのは、”想い”を乗せたお金の流れ、なのだ。


              挫折はしてみるもんだ

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                昨年の3月に過労と心労で倒れ、東京のマンションを引き払い、秦野に帰ってから1年がたった。

                明日には東京に戻る。

                今度の住まいは、下町の一軒家にした。
                閑静な住宅街だし、なにより僕は人と違ったもの、少し変わったものが好きだ。

                何百ともなく規格化され無個性な物件を眺めていると、多くのアパートは、人が主体的に住んでいるというよりも、物件に人が押し込められている窮屈感を感じた。そういうわけで、結果的に地に足をつけて生活のできる一軒家を選ぶことにした。庭もある。犬でも飼うかな。

                思い起こせば、東京で初めて独り暮らしをしたときは、品川の3万円の風呂なし木造アパートだった。
                隣の駐車場が3.5万円だったので、自分はカローラ以下だなぁ、とぼんやり考えていた。
                そのアパートのゲタ箱をみると、住んでいるのは、「林」さんばかりで、後でそれが「朴(パク)」さんだったとわかった。コスモポリタンなアパートだった。お金がなかったので、百円ショップでほぼすべての食材を揃え、風呂もしばしば近くに住む電通の友達のマンションで借りた。別にコンプレックスはなかったし、逆に希望と野望だけが売るほどあった。

                その後、神楽坂の1Kに移り、文京区の1LDK、しまいには中央区の48階建タワーマンションに移り住んだ。家賃は数倍になったが、幸せは木造アパートの半分くらいになった。

                幸せは、モノやカネという単一の指標では測れない。
                それは実態と期待の差から生まれる相対指標であり、もっと本質的には純粋に心の作用にすぎない。


                さて、東京を離れたこの1年間は、ある意味、人生のもっとも濃い時間になった。
                仕事をしない時間は僕には拷問に近かったが、それでも色々なことに挑戦した。

                なかでも「弓道」と「農業」と「留学」と「グリー/2ch」と「親との共同生活」から多くを学んだ。

                弓道からは、禅の精神性、つまりただ「在る」という状態の神聖さとそれが”リアル”に存在することを体験を持って学んだ。その後、禅寺に行ったりもした。だが肝心の弓の腕はさっぱり上がらなかった。

                農業からは、「身体性」を学んだ。都市生活者は五感を使いすぎる。だが人間には他の感覚が備わっている。長らくそれらの身体感覚を放棄すると、心身のバランスを崩す。例えば自律神経の安定化を促す脳内物質セロトニンは実は泥遊びをしている時にもっとも分泌されるのだ。私の場合、農業でセロトニンは得たが、野菜の収穫はさっぱりだった。

                留学では、「足るを知る精神」を学んだ。留学で学んだことは先のエントリを参照されたい。

                グリーと2chは、世間の広さを教えてくれた。ともに2000万人以上のユーザーがいる。日本の"市民”の実情がそこにある。中央の政策担当者や東京のエリートはその現実を知らない。

                僕はベッドの上で、グリーのゲームを一ヶ月やりこんだがせいぜい2万点しかいかなかった。でも200万点を取っているスーパースターがいる。僕はなんとかしてそのカリスマに会いに行った。会ってみるとドメスティックバイオレンス(DV)に悩むやや情緒不安定の主婦だという。今、DVは1/3の若者の家庭で起きているという。ゲームの世界はそのスケープゴートになっている。

                この1年、親(特に母親)を海外・国内問わず、多くの旅行に連れて行った。10年以上離れていたので、かみ合わず、喧嘩もしたが、最後はいつも仲直りした。親とのガチンコの付き合いを通して、「ありがとう」と「ごめんなさい」を改めて学んだ。この二つの言葉で人は生きていくのだ。

                さて、挫折はいいものだ。

                正直に言えば、挫折は今でもやっぱり悔しいし、恥ずかしいし、失ったたくさんのものを取り戻したいと思う。開き直ることなんてできない。「失敗も経験の一つ」なんて耳障りの良い言葉も聞きたくない。失敗は失敗、挫折は挫折である。それでも挫折はいいものだと思う。

                客観的にみれば、順風満帆な成功者よりも、辛酸をなめたはぐれ者の方がちょっと味があって一緒に飲んでいて楽しいだろうし(もっとも一緒になろうとは思わないかもしれないけど(笑))、米国のベンチャーキャピタルにいたっては、投資の際に、出資先創業者の挫折の経験を聞いて、同じ失敗を繰り返さないだろうという判断からリスクを限定できるとみてポジティブに評価する。

                でもでも、そんなチープなことなどよりも、ただそれは人が生きているっていうことのとてもわかりやすい証左なのだ。なによりも僕らはまず「生 き て い る ん だ」。お金も大事だし、人も大事だし、仕事も経済も政治もITの未来も国際紛争も、国家債務も年金も、進学や内定ももちろん大事なのだけど、それよりももっと本質的なところで、僕らは「ただ」生きているわけで、その結果、生じる色々な出来事をただただ受容していく、甘受していく、ということも含めて生きていくということなのだ。

                「神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える」とシェークスピアは言ったらしいけど、欠点や失敗あっての人間だ。もちろん僕らはそれを悲観し、克服しようともがくわけだけど、その様自体が人が生きるということなんだ。

                秦野の最後の日、父は、「ただ漫然と生きろ」と言った。目標やビジョンなど持たなくて良い。思考は常に死んでいるものだ。それは陳腐なものだと言った。

                ただ生きるとはどういうことなのだろうか?

                その答えは、これから半年の一軒家の一人暮らしでさぐっていこうと思う。
                あー、でも一軒家の独り暮らしはほんとに寂しいだろうな・・・(泣)。はやくも挫折しそう・・


                ベトナム旅行記 〜中部の世界遺産都市ホイアンで思う〜

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                   JUGEMテーマ:海外旅行 総合

                  昨年クリスマスから元旦にかけて、10日間ほどをベトナムで過ごした。常夏を期待していたが、やや温かいぐらいの気候。でも急激に冷えた日本から脱出できたことは幸いだった。

                  今日は、ベトナムで気づいたことをいくつか書きたい。

                  (ホイアンで迎える元旦 多くの日本人と外国からの人)

                  1.社会主義ではない、資本主義国家である

                  ベトナムは、社会主義国家であるが、完全に欧米の資本主義的インフラに支えられている。

                  ダナンに欧米系のリゾートホテルは、設立前から転売が繰り返され、オープンしてからもオーナーが変わる度に、総支配人が替わり、スタッフが入れ替わる。ホテル事業へのコミットというより、土地転がしによって財を成す、というのがビジネスの手法となっている。人の回転が激しく、トレーニー(見習い)が多いため、サービスに深みが出ないのは残念だ。

                  2.ハードは強いが、ソフト・サービスに弱い

                  ベトナムを旅していて、一番、気になったのは、このハード(施設)のレベルの高さに対するソフトやサービスのレベルの低さである。

                  中部最大の商業都市ダナンでは、世界遺産がたくさんあるなか、あえて映画館で「トロン3D」を観に行った。日本のワーナーやヴァージンと変わらない設備だが、観客のおしゃべりは本編が始まっても止まらないし、携帯がかかってくれば遠慮なく話し込んでしまう。劇場スタッフはまだエンドロールが流れる前から館内の明かりをつけてしまうから、エンディングをゆっくり観る暇もない。

                  ベトナムの魅力は、安定した政治経済と平均年齢26〜27歳の若い生産力であると言われているが、それはベトナム戦争で彼らの親世代が命を落したことに起因する。そのために若年層の「しつけ」が弱い、というのが実は最大の弱点である。

                  ハードについては、原子力発電から証券取引所のITシステムまで実は世界最高峰である。
                  それを使いことなすことができるオペレーションが確立できるかがこの国の発展に大きく関わっている。

                  3.中流層の教育が、もっとも大きなネックである

                  欧米から輸入される最高レベルのハードと、未熟なソフトやサービスのギャップを埋めるのは、知識と倫理を持ち合わせた人材である。したがってベトナムの最大の課題は、「中流層の教育」となる。

                  これは実は、過去の日本の最大の強みであった。確立されたオペレーションを教育された労働者が丁寧にこなすというのが戦後ニッポンの強みの源泉であったことを考えると、日本の貢献できる部分が多い。

                  日本は、介護・医療を中心にどんどんベトナムから若い人材を受け入れるべきだし、それによって日本の医療費問題の解決も進む。一石二鳥であるが、厚労省の足取りは重く受け入れ規制は厳しい。

                  逆に、ベトナムに、日本の引退世代はどんどん進出して技術継承や儒教的倫理観・サービスなどの教育を提供することは多大なる貢献につながるし、引退世代の社会とのつながりと担保する上でもとても重要な施策なのである。

                  両者の欠けたる部分、つまり日本にとっては若手生産人口の輸入(特に医療・介護分野)、ベトナムにとっては知識・倫理・サービス・技術の供給というシンプルな方向性は草の根レベルは行われているが、より包括的に行うべきである。それはいかなる供給も閾値を超えるインプットなしには、アウトプットに跳ね返ってこないという当たり前の理屈による。(TVのCMだってある一定量出さないと効果はゼロに等しいでしょ)。最低でも1万人規模の交流を国家レベルで模索し、実行することが必要である。


                  元日を、中部の世界遺産都市ホイアン(「千と千尋の神隠し」のモチーフにもなった幻想的な町)で迎え、多くの日本人や外国人と触れあいながら、そんなことを考えた。

                  600年以上前に朱印船貿易で栄えたホイアンには、日本橋や日本人の墓が残っており、当時のフロンティアスピリットあふれる日本人の魂が元気をくれる。

                  温故知新。僕達はこの歴史ある交流都市で、新しい日本人としてどのような事業を興し、交流と貢献を行うべきであろうか。


                  ”お金”と”ネット”は、実は「競合商品」なのだ

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                  お金とネットは、実は「競合関係」にあるのだ。

                  お金とは、信用を外部保存したものであり、僕らはそれを物と交換するために使う。一方、ネットの究極の活用法は需要と供給のマッチングである。

                  今、世界では、お金を人工的に濫用し製造することで、貨幣価値がグラグラと揺れることが多くなっている。それはお金の道具としての価値を下げている。

                  一方で、ネット環境はどんどん整備される。そうなると究極的には、自分が持っている物と自分が欲しい物を「直接」「即座」に交換できるようになるだろう。

                  そのときには、一見、原始的に見える「物々交換」が復活するのだ。

                  つまり、(あまり信用のできない)”お金”というツールを介在してやりとりするよりも、直接、人参とタマネギをネットを介して交換するということだ。

                  実際に、インドネシアではネットを介在にした物々交換が盛んになっている。

                  これは、貨幣経済とネット環境の成熟性の戦いなのである。

                  ネットの中に、”信用が保存”され、ネットの中で、直接、欲しい物と与えるものがやりとりされるようになったとき、人々は、現在のお金を、一時、放棄するだろう。

                  そこから「新しい貨幣」が生まれるのだ。

                  シェアーズ株式会社の設立

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                    2010年10月1日をもって、ブルーマーリンパートナーズでは、シェアーズ事業をスピンオフし、新たに「シェアーズ株式会社」としてスタートさせることになりました。

                    今後は、スポンサー資本による積極的な開発投資とサービスの向上を行ってゆく所存です。今後もシェアーズの進化にご期待ください。

                    尚、ブルーマーリンパートナーズ株式会社は、知の流通業者として新たな領域において、事業創造をしてゆきます。

                    モノがあふれ、カネの信用が瓦解し、人のキズナが揺らぎつつあるこの世界において、新しいコミュニティの創造と、効率的なコミュニケーションのための貨幣のあり方を見直すこと、人が真に「生きる」ことのできる社会インフラのビジョンを描き、丹念に設計し、それを実現すること、そして身近な人の可能性を見いだし、その成長を促すこと、これらを軸に歩み続けます。

                    どうぞ引き続きよろしく御願いします。

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